中年夫婦の35日間オーストラリア旅行記

行程・日程(スケジュール)

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《このページでは、旅の日程と行程の概略を書いています。》
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★なお、このホームページで表示されている各種の料金や価格は、すべて旅行当時のものです。★

2000年5月30日14時、パックを背負って自宅から大宮駅に向かう。7月3日の帰国まで35日。愛犬『寧夢(ねむ)』とはしばらくの別れだ。
大宮から成田空港までは、シャトル・バスで約2時間だが、安全を見て早めの出発にした。定刻に成田到着。心配していたETASもちゃんと登録されており、チェック・イン、出国手続きはスムースに進行。

Route map CAIRNS BRISBANE SYDNEY MELBOURNE ADELAIDE PERTH AYERS ROCK ALICE SPRINGS TOWNSVILLE 20時15分成田空港発のJAL767便(カンタス航空との共同運航)で、ケアンズに向かう。

成田から南下すること約7時間。待望のオーストラリア入国である。
予算の関係で、国内の移動は原則としてバス。事前に購入しておいた『キロ・パス』で10000キロを走破する旅が始まる。 (右図参照)

ケアンズで先ず3泊。これからの長旅のための英気を養い、オージー・イングリッシュへの耳慣らし(?)。
と思いきや、日本人が多い。街を歩いていても、やたらと日本語が耳に飛び込んでくる。
ケアンズは、人口13万人強の小さな街。中心市街地は狭く、すべて徒歩圏。ゴールデン・ウィークには、日本人で溢れたという。
市内を散策し、ツアーに参加してグレートバリア・リーフの景観を楽しむ。
そして、6月3日早朝、いよいよバス・ターミナルを出発。一万キロへの一歩を踏み出す。

一昼夜かけてブリスベンに到着。
ここまでは、オーストラリアの北東部クイーンズ・ランド州で、日本の初夏のような気候。ティー・シャツとコットン・パンツで充分過ごせる。
州都ブリスベンは、人口約145万の緑豊かな大きな街。高台にあった宿のロケーションと気候が良かったせいもあって、結果的に一番気に入った街となり、できれば住んでみたい街となった。
シティのマイヤー・センター地下にあるバスターミナルから、「ローン・パイン」へ。「ローン・パイン・コアラ・サンクチュアリ」は、オーストラリアでも数少ないコアラが抱っこできる場所。カンガルー、ウォンバットなども見ることができる。
シティ巡りは徒歩で充分だが、一日乗り放題のバス・チケットを購入すれば、移動範囲がちょっと広がる。
オーストラリアの街は、植物園をはじめ、緑地が整備されていて美しい。(3泊)

6月8日夕方、ブリスベンを発ってシドニーへと南下。南へ向かうにつれて次第に寒くなる。1週間くらい前にシドニーの奥部で雪が降ったとの情報もあった。
Opera Houseオリンピックを3ヵ月後に控えたシドニーも、街中はまだ平静を保っており、オペラ・ハウス、ハーバー・ブリッジ、王立植物園などをゆっくり散策することができる。
オーストラリアは、7月1日から10%の消費税(GST)課税が実施されるため、どの街でも駆け込みセールの真っ最中。SALEの旗や幟が街を埋め尽くしている感じだ。
ここでも、一日乗り放題のバス・チケット「シドニー・エクスプローラ-」を購入して、市内を散策。
多民族国家オーストラリアだが、どこを歩いても中国人のバイタリティ溢れる生活に驚嘆する。
ちなみに、ここで泊まった City Crown Lodge の奥さんは日本人。(4泊)

シドニー4泊の後、メルボルンへ。バス移動も3度目となると「慣れた」感じで、乗車すると間もなく、いつの間にか眠っていたりする。
Yarra Riverメルボルンは、今のキャンベラに移るまでオーストラリア連邦の首都だったところで、ビクトリア様式の重厚な建物が数多く残り、落ち着いた雰囲気。
ビクトリア博物館やシティで偶然立ち寄った「アボリジナル・アート・ギャラリー」で、アボリジニの文化に触れる。
ホテルのすぐ近くにあった『クイーン・ビクトリア・マーケット』の肉屋さんで、キロ10ドル弱のサーロイン・ステーキ肉を買い、ホテルのキッチンのひしゃげたフライパンで焼く。1人450グラムのステーキをペロリ!とにかく、肉製品は安い。そして、おいしい。
その他、この街出身のECCの先生のお勧めの場所をいくつか訪ね、3泊した。

Randle Mall次はアデレード。この街は、パースへの中継地点としてほんのちょっと滞在するつもりで選んだのだが、英国風の端正なたたずまいを見せるいい街だった。
ここでも、乗り放題の「アデレード・エクスプローラー・トラム」を利用。レトロ調のトラムそのもののバスで、市内だけでなく、グレネルグ・ビーチまで連れて行ってくれる。
泊まったバック・パッカーズも家族的で大変気に入った。ここで同宿したひげのおじさんは、クイーンズランド在住のバイク・ツアー・ガイド。ちょっとエッチなスラングをたくさん教えてくれた。(2泊)


6月19日朝、宿の主人にバス・ターミナルまで送ってもらい、いよいよ2,800キロを一日半で走破するパースへの旅が始まる。
From bus食事休憩5回、トイレ休憩3回という強行軍である。走れども走れども沿線の風景は変わらない。広大な牧場か、ブッシュしか生えていない赤茶けた大地が延々と続く。道路わきにカンガルーの屍骸を見たのもこの道である。
夜中、西オーストラリア州に入る州境の手前でバスが止まり、女性の検疫官が乗り込んでくる。西オーストラリアは、オーストラリアの中でも特に検疫の厳しいところ。アデレードで買って持ち込んでいたリンゴとオレンジを没収されてしまった。

20日午後8時ごろ、ようやくパースのバス・ターミナルに到着。遅れも含めて、正味35時間の長旅が終わった。バスで一緒になった日本人の女の子たちとタクシーに同乗して市内の宿へ。
Pinnaclesパースは、全土の3分の1を占める広大な西オーストラリア州の州都。スワン川のほとりに開けた美しい街で、こんどの旅で是非訪れてみたいところだった。
ここで見たかったのは、インド洋に沈む落日と「石化した原生林」ザ・ピナクルズ。電車で行ったフリーマントルの帰りに眺めるはずだった落日の方は、残念ながら天候に恵まれずあきらめざるをえなかったが、ザ・ピナクルズは、トヨタのランクルのツアーに参加、ピナクルズの点在する世にも異様な風景と4WDでのサンド・デューンのドライブを楽しむことができた。
4泊のうち2日は、例によってシティを散策。狭い市街地なのでバスで一緒だった日本人に2度も出くわす。
宿の近くの西オーストラリア博物館は、アボリジニ関連の展示が豊富だが、動植物の検疫に関する展示もあって、その姿勢の厳しさを示している。(4泊)

この旅初めての内陸部エアーズ・ロックへは、パースからやむを得ず空路を利用。アンセット航空国内便は、70人乗りの小さな飛行機。でも、さすがに飛行機は速い。約2時間半後、コネラン空港到着直前、下界に広がる赤茶色の大地の中、「カタジュタ(ザ・オルガス)」が目に飛び込んできた。
Ayers Rockエアーズ・ロック・リゾートは、アボリジニの聖地であるこの辺り一帯をアボリジニと政府の協定で「ウルル・カタジュタ国立公園」とし、その中に造られた一大観光拠点。高級ホテルからキャンプ施設まで、一日5000人収容が可能な宿泊施設を備えている。
2日目にエアーズ・ロック登坂に挑戦する。思ったよりかなりきつい。家内は頂上を極めたものの、小生、95%というところでギブアップしてしまった。早朝のサンライズ・ツアーでは、昇る朝日に刻々と色を変える世界最大級の一枚岩(ウルル)の異形を楽しんだ。
3日目、こちらは36個の岩からなるカタジュタ(ザ・オルガス)のツアーに参加。帰りに、サンセットに映えて真っ赤に燃えるエアーズ・ロックを見る予定だったが、西の空はあいにくの曇天。残念だった。

4日目早朝5時、AATキングスのツアーバスで「キングス・キャニオン」へ。さらに、赤土のオフロードを走って、夕方アリス・スプリングスへ着く。
アリス・スプリングスは、緑の少ない内陸部にあって、文字どおり、オアシスのような小さな街。1871年、電信線敷設工事の測量技師が泉を見つけ、時の電信総監の奥さんの名にちなんで「アリスの泉」と名づけたという。(1泊)

6月29日夕方、再びグレイハウンドでタウンズビルへ。途中、真夜中に、ダーウィンへ向かうバスをテナント・クリークで降りて、東へ行くバスに乗り換えるのだが、1時間以上の遅れにいらいらすることしきり。
テナント・クリークでは、バスはちゃんと待ってくれていたが、タウンズビルの宿に遅れを電話して、到着したのがレセプションの閉まる直前。部屋に入るとベッドにシーツがかかっていない。慌ててレセプションに駆け下りたら既に電気が消えており、ぼろぼろのマットレスの上で一晩を過ごす羽目となった。
しかし、約1ヶ月ぶりに戻ってきたクイーンズ・ランドの緑は、やはり心身に心地よい。ビーチでの日向ぼっこやバーでの水割りを楽しみ、2泊してしまった。

帰りの飛行機まであと2日。7月1日昼前、残り少なくなったキロ・パスでグレイハウンドに最後の乗車、ケアンズに向かう。
沿線には、サトウキビやバナナの畑、見覚えのある風景が広がっている。
ケアンズの宿は、前に泊まった Inn The Tropics。「おかえり!」と歓迎されてホッとする。しかし、7月1日から施行されたGSTの適用で、料金は1割高くなっていた。
夕食は、宿の隣のステーキ・ハウスの主人に呼び込まれて、400グラム近い最高級のヒレ・ステーキとワイン。オージー・ビーフとの別れを惜しむ。それでも、2人で80ドル(約5500円)だった。
土産品店の「岡田屋」の店長からも「おかえりなさい」と言われ、ちょっと余分に日本への土産を揃える。

3日朝、チェック・アウトを済ませて、ちょっと早めにケアンズ空港へ。残ったキャッシュを免税店で品物に換え、12時45分発のJL768便に搭乗。
成田には、この2月に結婚した長女が迎えに来てくれた。

35日間にわたる中年夫婦のオーストラリアの旅は終わった。
幸い、比較的天候にも恵まれ、大したトラブルもなく、ほとんどスケジュールどおりに進んだ今度の旅だった。これも、基本的に安全なオーストラリアの社会とオージーの親切さのおかげだと思う。

近いうちに(本当に近いうちに・・・)、今度は一つの街に長期滞在で(たとえば、ブリスベンあたり)、オーストラリアを訪れたいと考えている。