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オーストラリアは何故『豪州』なのか(4) ……結論はまだまだ出ない……
◆いつから豪州? なぜ豪州?
さてさて、このような経過を辿った日本における世界地図の歴史の中で、かの地がいつから「オーストラリア」と表記され、なぜ「豪州」と呼ばれるようになったのか、という本題に戻りたいのだが……。 残念ながら、前のページで紹介した地図画像からは、表示されている細かい文字を読み取ることは困難であり、現物を拝見するほどの研究者でもない私は、この辺で疑問の解明を諦めざるを得ない状況に陥った。 そこで偶然見つけてお世話になったのが、Web上で公開されていた、在メルボルン日本総領事、上野景文氏の『オーストラリア、豪州、澳州』と、日本女子大学、森本峰子氏の『江戸時代の古地図に見るオーストラリア』の二つの論文である。 両氏の貴重な考察をまとめさせていただくと、江戸時代の日本の古地図における「オーストラリア」の表記は、次表のような経緯を辿っている。
つまり、現在のオーストラリアはタスマン前後のオランダ人による発見以来、もっぱら『新オランダ』 "New Holland" と呼ばれ、日本で著わされた地図においても『新阿蘭陀』または『新和蘭陀』と表記されてきたが、1844年(弘化元年)箕作省吾の「新製輿地全図」ではじめて『豪斯多棘里』という表記が現れたということである。 さらに、上野氏によると、箕作省吾が翌年に著わした「坤輿図識」には、アジア洲、欧洲、アフリカ洲、南北アメリカ洲と並ぶ5つ目の「洲」として、現在オセアニアと呼ばれる地域が『豪斯多棘里洲』と表記され、その一部として現在のオーストラリア大陸を『新和蘭』としているそうである。 また、上野氏によれば、松田緑山の『豪斯多里』と佐藤政善の『澳太利亜』は、英国が最初に領有を宣言したオーストラリア大陸東部だけを指し、西部あるいは北部の「新オランダ」と併記されている。 なお、明治以降「定版」として使用されるようになった「濠太刺利」は、少なくとも江戸時代の地図の上には現れて来ない。 いずれにしても、『豪州』が箕作省吾の『豪斯多棘里』に端を発するものであろうことは明らかになった。(『豪斯多棘里』の『棘』の字には、中国、日本、共に「ラ」の音はなく、『刺』の間違いかもしれない。 しかし、まだまだ疑問は残る。なぜ "Australia" の "au" の音に『豪』の字を宛てたのか。なぜ『豪国』ではなく『豪州』のままなのか。 この点については、上野氏も結論には至っていない。 ◇『豪』、『濠』は国産か、輸入品か 然らば、『豪斯多刺里』は中国で使われたものが日本に伝わったものなのか、それとも、日本独自の当て字なのか。ちなみに、今の中国ではオーストラリアを『澳太利亜』と表記している。 英語は当然のことながら、オランダ語、フランス語でも、 "au" を "gau" あるいは "gou" と聞き間違えるような発音はない。 『豪』の日本音は、漢音、呉音とも「ゴウ、コウ」または「ガウ、カウ」、『濠』の音は「ゴウ、ガウ」。どちらも「オウ」や「アウ」とは程遠い音である。 従って、最初に日本で『豪』や『濠』が当てられる可能性は、非常に少ないものと考えられる。 現代中国音(北京語)では『豪』、『濠』とも "hao" (第2声)であるが、調べていくうちに、広東語の発音では、 "hou" (第4声)または "ho" (第4声)であり、地域によっては "h" がサイレントになって "ou" または "o" と聞こえるところもあるということが分かった。 1840年に起きたアヘン戦争によって香港がイギリスに割譲されるが、それ以前からイギリスと中国との接触点は専ら広東語圏であったわけで、当時 "Australia" の "au" に、『豪』または『濠』が当てられた可能性は否定できない。 今のところ、当時これらの文字が当てられたことを証明する中国の文献も地図も発見できていないし、探しうる限りの辞書の上でも、これらの文字がオーストラリアを意味する目的で使われたという記述も見つかっていないが、香港付近の広東語圏でまず『豪』の時を使った当て字が使われ、それが日本に伝わったと考えるのが自然のようである。 「英国」や「米国」のように「豪国」と言わず、「豪州」となっている点については、もともと日本では、「オーストラリア」が現在のオーストラリア大陸よりもっと広い地域を表す地名「州」として考えられていたこと、漢字表記がされた時点では、オーストラリアはまだ国ではなかった(オーストラリア連邦の成立は1901年)こと、などが推測されるが、これはあくまでも私の強引な推論に過ぎない。 もし、これらのことについて情報やご意見やお持ちの方がいたら、是非ご一報いただきたいものである。
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